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ようやく満願
四国八十八か所を巡ったあとは、高野山の奥の院へ。
2016年4月2日から母の悪性リンパ腫寛解を祈願してはじめたお遍路。
主に土曜日や日曜日、祝日の動きが取れる日を使って、6月までの約3か月で第88番札所からの逆打ちが完了しました。
そして、残すは高野山。
実家に子どもたちを連れて帰省する9月のシルバーウィークに何とか御朱印帳を母に渡したくて、2016年8月ついに高野山入りしました。
「高野山」とは
和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000メートル級の山々に囲まれた標高約800メートルの平坦地に位置。
平安時代に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の一つ。
山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺、大本山宝宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。
というとたくさんのお寺が点在する一体です。
どこにお参りしたら良いのだ?
お参りをする先を調べることから始まりました。
そして、金剛峯寺ではなく、お大師様が即身成仏された「奥の院」へお参りすることを知ります。
西暦835年3月21日に入定された弘法大師は、今も生き続けておられると考えられています。そして、今でも高野山の僧侶が毎日食事を献膳し、衣替えも行われているそうです。
▼奥之院入り口の駐車場(無料)側からの写真
結局また迷ってしまった道中
香川県から高野山までの車での移動時間は調べてみたら約5時間でした。
結構な山道を行くようなので、夫2人で交代しながら運転をするとしても早朝の出発を考えると眠気が襲ってきそうです。
結局、行きは徳島からフェリーに乗っていくことにしました。
6時過ぎに自宅出発→7時半徳島港着→8時徳島港より出向→10時10分和歌山港着→13時半高野山駐車場着。
トータル7時間。
お昼の時間を40分くらいとったけど、長かった。
とっても長かった。。。
車のナビが古くてあてにならないし、スマホのナビは山奥では使えないことを四国八十八か所巡りで思い知ったので、今回こそはと前日にナビタイムで調べてルートを印刷していたのですが…
途中大阪のどこかで「阪奈和道」にどう入ってよいかわからず、迷ってしまいました。
道を再検索するために取りあえず入ったビッグボーイ 泉南店でランチ。
スマホのナビは現在地が分からなくなって「GPS,GPS・・・」とまるで寝ぼけた人の「眼鏡、眼鏡・・・」状態。
お店で定員さんにお店の住所を聞きました。
「阪南市鳥取中582-1」と書かれた紙をいただいて、再度スマホで検索。
何とか道が分かったのですが、来た道をかなり引き返しました。
やっと着いた!奥之院までの道中はお墓や供養塔がたくさん
▼花菱 アチャコ
▼親鸞聖人の供養塔
▼日産自動車
▼UCC
▼キリングループ
この慰霊碑は外せない
一の橋から奥之院までの道中にあるのが織田信長と豊臣秀吉の慰霊碑。
▼織田信長
▼豊臣秀吉
徳川家康の慰霊碑は金剛峯寺の近くにあるので後ほど。。。
四国お遍路の結願後に高野山の奥之院を参拝し、満願の御朱印を頂きます。
何を忘れても納経張だけは持っていかなければ!と前日のうちに鞄に入れ、出発前も確認。
大木の多い高野山。
大きな木の一つ一つに番号のついた札が付けられていました。
▼無縁塚
企業の慰霊碑も面白い
▼新明和工業株式会社の慰霊碑
▼福助
▼ヤクルト
▼御廟橋
この橋から向こうは脱帽の上、写真などの撮影は禁止
納札入れと納経箱
納める札は奥之院でお参りをするところにありました。
四国八十八カ所では、写経を納める箱が設置されていたのですが、高野山には箱はなく台が置かれていました。
そこに先にお参りをされた方の写経が一枚とその上に文鎮が置いてありました。
四国のお寺の納経箱は写経が入りきらないくらいパンパンになっているお寺もありましたが、高野山の奥之院は私のが2枚目。
読経をされている方は皆無でした。
更に進むと「燈籠堂」があります。
これはパワースポットと言われる高野山の中でも一番パワーが強いといわれる場所のようです。
高野山で奥之院前の駐車場に車を停めて降りた時から、普段感じれない空気感を感じることができましたが、「燈籠堂」では建物の中に入る前から、皮膚で感じる空気感が新鮮でした。
建物の中に入るとその何とも言えない感覚が強まりました。
とても神秘的な場所。
そして、納経所で「満願ですね。おめでとうございます。」と言っていただき、八十八カ所巡りの長かった道のりが脳裏に浮かびました。
金剛峯寺と徳川家霊台をお参り
到着が遅れてしまったので、宿のチェックイン時間18時を考えると既に移動しなければならない時間でした。
ただ、次にいつ訪れることができるかわからないので、金剛峯寺とその道中から少し外れたところにある徳川家の霊台にだけは立ち寄ることにしました。
▼金剛峯寺
金剛峯寺では、納経をいただきましたが、中をじっくりと拝観する時間はとれそうになかったので、納経帳だけ購入して、徳川家霊台に移動。
お参りをして、高野山をあとにしました。
奥之院までの道中に織田信長、そして豊臣秀吉のお墓はあるのですが、徳川家のお墓だけは別にあります。
徳川家霊台は三代将軍家光公が大檀主となり、寛永九年旧正月二代将軍秀忠公の庇護、十数年の歳月と巨額の費用をかけて寛永二十年、春日局が亡くなられた年に創建されたものである。右が家康霊屋、左を秀忠霊屋を呼称する三間四面のこの建物は、東照宮形式として高野山に残る唯一のものであり、霊場荒野に建てられたものとして他所に診ることの出来ない特異な白木造で四囲の縁に静かな霊台としての性格を強く打ち出している。
徳川家康公は周知の通り寅年の生まれてあり、守り木尊が薬師如来であるため右の家康霊屋を古るくは薬師堂と称して居り、正面の蛙股彫刻には寅が彫られ秀忠霊屋には兎が彫られて居り、秀忠は卯年生まれかと思われる。
金剛峯寺の北側。歩いて約10分の距離にある徳川家霊台。
歩いていきましたが、霊台前に車を停められる十分なスペースがありました。
奥之院前に車を停めていたので、結構な距離歩くことになり標高高めとは汗だくでした。
▼徳川家霊台
高野山の宿坊
高野山の約120の寺院のうち約半数が宿坊を兼ねているそうです。
今回高野山についていろいろ調べて、お参りをした方のブログを読ませていただくと、宿坊の一つ普賢院さんに泊まられた方がそこで焚かれていたお香の香りのことを書いておられました。
とても良い香りだったので、どこのお香かたずねられたそうで、京都の松栄堂のお香「堀川」と教えていただいたとか。
日々の瞑想にお香を使っているので、気になった早速検索してみました!
そして早速注文。
以前、大阪に住んでいたころ、週末の度に京都の寺院を巡っていました。
そのころ回ったお寺の情景が懐かしく思い出され、ほのかに甘い香りはとても心地よかったです。
それもそのはず、松栄堂さんのお香は東寺や仁和寺、三千院や東福寺、そして清水寺、その他たくさんのお寺に納められているそうです。
お香の香りに癒され、満願の余韻にひたりながら、母のPET-CTの結果が良いことを祈りながら今日は眠りにつきます。